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第十四話: 新渡戸の『武士道』(その2)【会長 草原克豪】

第十四話: 新渡戸の『武士道』(その2)【会長 草原克豪】

第十四話: 新渡戸の『武士道』(その2)【会長 草原克豪】

『武士道』では名誉と忠義についても説明しています。

名誉とは、優れていると認められることで、「名、面目、外聞」などの言葉で表される観念です。名誉を汚されるのは武士にとって最大の恥辱であるとされていました。言い換えれば、武士の道徳観を支えていたのは、正しい行いから得られる名誉の感覚と、それに反する行いを恥ずかしいと感じる恥辱の感覚なのです。名誉を求め、不名誉を最大の恥とする精神です。したがって廉恥心は幼い頃から教わる最初の徳の一つでした。

このことからも、武士道の根本は「名を惜しみ、恥を知る」ことであると言っていいでしょう。そのため多くの若者が名誉を得るために立身出世を追い求め、あらゆる厳しい試練にも耐えたのです。日本人が明治維新を成し遂げた最大の動機も、「劣等国として見下されることに耐えられない名誉心」からであった、と新渡戸は述べています。

忠義は忠誠と言い換えてもいいのですが、要するに主君のために尽くすことであり、命を捧げることです。それを実行した人は忠臣として後世にまで高い評価を受けることになります。「忠臣蔵」に登場する47名の赤穂浪士はその代表的な例です。

忠誠こそは、武士道においてもっとも重要な徳目であると言ってもいいでしょう。近代国家においては国に対する忠誠心が求められることになります。それが愛国心です。

忠と並ぶ重要な徳目として、孝があります。儒教においては親に対する服従を意味する孝がもっとも重要とされました。孝は神道における祖先崇拝の教理に基づく徳でもあり、日本人にとってももっとも重要な徳目のひとつになっています。もちろん武士にとっても孝は重要な徳目とされていました。しかし武士道の徳目としては、孝よりは忠の方が上位を占めていました。現代風に言えば、私よりも公を優先したということです。

『武士道』では智についての独立した章は設けられていませんが、第十章「武士の教育および訓練」において、教育という観点から智の重要性について論じています。

武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成でした。品性と訳されることもありますが、英語の 原文では“character”です。思慮、知識、雄弁などの知的能力はそれほど重視されていなかったのです。

武士道の骨組みを支える三本柱は「智・仁・勇」とされ、武士に必要なのは叡智の「智」であって、単なる知識ではなかったのです。つまり、知識はそれ自体に価値があるのではなく、あくまでも実践としての智慧を身につけるための手段に過ぎないと考えられていたのです。

品格を高めるうえでは、教師の果たす役割が極めて重要になってきます。教師の役割について新渡戸は次のように述べています。

「教える者が、知性ではなく品格を、頭脳ではなく魂を、ともに磨き発達させる素材として選んだとき、教師の仕事は神聖なる性質をおびる。『私を産んだのは親である。私を人たらしめるのは教師である』との思いで、教育が行われていたとき、教師の受けた尊敬はきわめて高かった。このような信頼と尊敬を若者から寄せられる教師は、当然のことだが人より優れた人格を持ち、学識にも恵まれていなければならなかった。」

新渡戸は自ら理想とする教師像を、現実の世界でも実践しました。そうすることによって、札幌農学校や第一高等学校だけでなく、社会教育も含めた幅広い教育の分野において、多くの青少年や女性たちから信頼と尊敬の念をもって思慕される教育者となったのです。

公益社団法人日本空手協会は内閣府認定の公益法人として品格ある青少年育成につとめております。
当会主催の全国大会には、内閣総理大臣杯、及び文部科学大臣杯が授与されております。