第十一話:守・破・離【会長 草原克豪】
武道に限らず、芸道、茶道、花道など、道と言われるものにおいては、形が重要な役割を果たしています。その理由は、形には言葉や単純な動作では伝えられない複雑で奥深い術理が含まれているからです。特に重要なのは、身体動作だけでなく、気・間・呼吸・心のあり方などの複雑な技法が一つのまとまった技として含まれていることです。
形の練習においては「初心忘るべからず」の心構えが大事だと、能楽の世阿弥は『風姿花伝』の中で述べています。この言葉は今日でもよく使われますが、これを初志貫徹の意味で用いるのは誤りで、本来の意味は、初心者だった頃に持っていた「自分は未熟である」という謙虚な気持ちをいつまでも持ち続けて努力しなければならないというものです。これはもともと芸道の稽古について述べたものですが、武道の修行にもそのまま当てはまると言ってよいでしょう。
芸道における修行の過程を説明するのに「守・破・離」という言葉が使われることもあります。「守」とは師の教えを忠実に守ること、つまり基本の段階です。「破」とは自分で考え工夫すること、つまり自立の段階です。「離」とは独自の新しい世界を確立すること、つまり創造の段階を指しています。
この言葉の由来についてはいろいろな説がありますが、一説では、わび茶を完成させた千利休の教えをまとめた「利休道歌」にある「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」という歌の三文字をとったものだと言われています。この歌からもわかるように、初心者がいきなり破や離に到達しようとしてもそれは無理というものです。守の段階を経て初めて破の段階に至るのであり、破の段階を経て初めて離の段階に達することができるのです。そして「本を忘るな」とあるとおり、たとえ基本から離れたとしても、根本の精神を見失ってはならないのです。
守破離は修行における三つの段階を分かりやすく言い表した言葉です。そしてこの言葉は、空手はもちろんのこと、すべての武道の修行にもそのまま当てはまるのです。すなわち、最初は先生から教わった形をしっかり身につけ、そのうえで自分自身の形を確立し、そこからさらに形にとらわれない自由な心境を目指すようになるのです。
このように、古くからの伝統を大事にする芸道には、武道から見ても学ぶべきことが少なくありません。まさに温故知新です。今日では、守破離という言葉は、茶道や武道に限らず、人が人間として成長するうえでの重要な過程を示す言葉としても、広く一般的に用いられています。