第二話:術から道へ【会長 草原克豪】
船越先生は空手を本土に紹介しただけでなく、空手の理論および技術を体系化し、指導法の体系化にも取り組みました。さらに講演活動や著作物を通じて普及活動にも力を入れ、多くの弟子や指導者を育てました。
中国を連想させる「唐手」に代えて「空手」、さらに「空手道」へと改名したのも船越先生でした。そのため沖縄の唐手家たちから強い非難を受けたりもしました。しかしその後の歴史を振り返ると、こうした船越先生の卓見と勇気と決断があったからこそ、今日のような武道としての空手道があると言ってよいのです。先生が「近代空手道の父」と呼ばれるのはそういう理由からです。
沖縄発祥の空手が日本の武道として発展してきたのは、船越先生の空手が当時のエリート大学生の間から広まったこととも深く関わっています。先生が現在の東京都文京区で沖縄県学生寮の一室を借りて空手の指導をはじめた頃、入門してきたのは主として大学生でした。そのうちに彼らはそれぞれの大学内で空手部をつくりはじめたのです。こうして東京帝国大学、拓殖大学、東京商科大学(現在の一橋大学)、早稲田大学をはじめ、多くの大学で空手部が創設されていきました。そして彼らは常に柔道部や剣道部の存在を意識しながら、武道としての空手道の稽古に励み、その普及にも努めたのです。
空手を日本の武道にする際に参考にしたのは嘉納治五郎先生の講道館柔道でした。その結果、空手においても柔道着を参考にした道着が作られて用いられるようになりました。また柔道のように段級制度が導入され、有段者は黒帯を使用することになりました。鏡開き・暑中稽古・寒稽古などの行事などを導入したのも講道館に倣ったものですし、道場における礼法も同様です。船越先生は嘉納先生への感謝の気持ちが非常に強く、講道館の前を通るたびに立ち止まって、入り口に向かって深々とお辞儀をしていたと言われています。
日本の武道の大きな特徴は人間修養を目的としていることです。単に勝ち負けを競い合うのが武道の目的ではありません。重要なことは、相手を倒すことではなく、自分自身の人間性を高めることであり、それを通じて社会に貢献することなのです。柔道の嘉納先生はこれを「精力善用・自他共栄」という言葉で言い表しました。空手道においては、船越先生が作った五カ条の「道場訓」があり、その第一条は「人格完成に努むること」とされています。この言葉の中に船越先生の武道観あるいは空手道哲学が凝縮されていると言ってよいでしょう。
私たちは道場訓に込められた船越先生の教えを大切にしなければなりません。暗唱するのは簡単ですが、大事なのはそれを日常生活で実践することです。人間修養という目的を失った武道は、もはや武道の名に値しません。空手道においても常にこのことを自覚しながら稽古に励むことが大事です。