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「船越義珍生誕150周年記念・日本空手協会創立70周年記念」記念祝賀会 会長挨拶

「船越義珍生誕150周年記念・日本空手協会創立70周年記念」記念祝賀会 会長挨拶

「船越義珍生誕150周年記念・日本空手協会創立70周年記念」記念祝賀会 会長挨拶

船越義珍生誕150周年・日本空手協会創立70周年

記念祝賀会挨拶

 

2018年6月1日

日本空手協会会長

草原克豪

 

船越義珍先生の生誕150周年、日本空手協会の創立70周年という節目を迎え、このような祝賀会を開催させていただきましたところ、皆様には大変お忙しい中をご臨席賜りまして誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

船越義珍先生については私から改めて申し上げるまでもありませんが、先生は、今から96年前の大正11年に、文部省主催の第一回運動体育展覧会において沖縄の唐手を初めて本土に紹介し、今日の空手道発展の基礎を築かれた大功労者であり、「近代空手道の父」として、その名を歴史に刻んでおります。

船越先生の偉大な功績は、単に沖縄の唐手を本土に紹介し普及させただけではなく、それを日本武道として位置付けて発展させたことにあります。その出発点となったのは柔道の創始者である嘉納治五郎先生との出会いでした。

運動体育展覧会で唐手の紹介をした数日後、船越先生は嘉納先生の講道館に招かれて、唐手の演武を披露したのです。これが好評を博し、新聞にも報じられて大きな反響を呼び、あちこちから講演や演武の依頼が舞い込むようになりました。

また、嘉納先生からは、「沖縄の唐手術はどこに出しても決して恥ずかしくない立派な武術です。この武術を本土で普及しようというお考えがあるなら、そのための協力は惜しみません。」という力強い激励の言葉ももらいました。

こうして船越先生は、本土での唐手の普及に尽くすことが自分に与えられた使命であると信じ、当初はすぐに沖縄に戻るつもりで上京したのですが、ついに沖縄には戻らずに、そのまま東京にとどまって唐手の普及・指導に専念する決心をしたのです。先生が54歳の時でした。その後、先生の指導された空手は、首都圏の大学を中心に全国に広まり、戦後はさらに海外へと広まって、今日の隆盛を迎えることになりました。

 

その間に、先生は、沖縄で秘伝として伝えられていた唐手術を、柔道や剣道と並ぶ「日本武道としての空手道」へと進化させました。

上京した年に『琉球拳法 唐手』という本を著していますが、これは日本ではじめて唐手の形を図解入りで体系的に解説した画期的な教本であり、空手の普及に大きく貢献しました。さらに、柔道と同様、段位を発行し、黒帯も導入しました。唐手の名称も、「唐」の文字から現在の「空」の文字へと改めました。後にはさらに、形だけでなく、組手基本も導入しました。また、形の名称についても、それまで口伝えによる中国風の名称を片仮名で表記していたのを、漢字による和風の名称に改めました。それが現在の松濤館流の形の名称となっているのです。

また、船越先生は、空手の目的として「体育、護身術、精神修養」を掲げて、精神面を重視しました。実は嘉納先生も、柔道の三本柱として「体育、勝負、修心」を掲げていました。このように二人が揃って武道の精神修養面を重視したことは、偶然の一致ではないと思われます。ご承知の通り、嘉納先生は20年以上にわたり東京高等師範学校校長を務めた教育者です。船越先生も長らく学校教員を務めた教育者でした。しかも二人とも高い教養を身につけた教養人だったのです。そのような二人にとっては、武道の究極の目的は、相手を倒すことではなく、自分自身の徳を磨くことであり、さらにそれを通じて社会に貢献することでなければならなかったのです。私たちは、日本の空手道の歴史がこのような二人の出会いから始まったことに感謝しなければなりません。

船越先生は、空手を通じて勇気・礼節・廉恥・謙譲・克己などの徳を磨くことが大事だと述べ、そのために心掛けるべき教えを箇条書きにて遺しました。ひとつは「空手道は礼に始まり礼に終わる」「空手に先手なし」などの「松濤二十訓」であります。もうひとつは「人格完成に努むる事」に始まる「松濤五条訓」であります。

 

この船越義珍先生を最高技術顧問にお迎えして、戦後間もない昭和23年に発足したのが、日本空手協会であります。

協会の創設に力を尽くし、船越先生が亡くなられた後は初代首席師範として、その後の協会の発展の礎を築いたのは中山正敏先生でした。中山先生は、組手試合の実現に向けて熱心に取り組んだことでも知られています。その成果が実って、昭和29年には日本で初めて試合形式を取り入れた関東大学対抗戦が開催されました。3年後の昭和32年には、「形」および「組手」の試合による空手界初の全国大会、第1回全国空手道選手権大会が開催されました。

しかし、その一方で、中山先生は、試合を中心とした空手道のスポーツ化に伴う弊害に対しても、早くから危機感を持ち、警鐘を鳴らしていました。昭和41年に刊行された『空手道新教程』において、先生は、試合が盛んになることは、空手道の新しいジャンルの開拓という意味で大変喜ばしいとはしながらも、その「反面、試合に勝ちさえすればよいという安易な考えから、ポイント主義に堕し、空手道特有の鋭い冴えと、威力ある決めが少なくなりつつあるのは非常に残念です。」と述べています。先生にとって空手道の究極の目的は、「厳しく己を律し、汗の中から高邁な人格を養成する」ことでした。

中山先生の後を継いで第二代首席師範となった杉浦初久二(もとくに)先生は、空手の基本である形の稽古を特に重視し、形の吟味・検討を積み重ねました。その成果は、協会の形教本の決定版である『空手道型』全5巻となって、協会空手の目指すべき方向を明確に示しております。

 

今日、空手は国内だけでなく、世界中に広まり、多くの人々に愛好されています。また生涯空手として、多くの人々に生きがいを提供しています。その中で空手の楽しみ方も多様化してきました。さらに2年後の東京オリンピックの種目にも採用されたことで、国民の関心も一段と高まってまいりました。

こうした新しい時代にあって、内外の空手愛好家の多様な要請に応えながら、船越先生の松濤二十訓を守り、極めに基づいた一本勝負の武道空手を正しく伝えていくことが、日本空手協会に課せられた重大な使命であります。この使命を果たすため、私たちは、改めて船越先生の精神に立ち返り、中山、杉浦両先生の教えに真摯に耳を傾けながら、現在の植木首席師範の下で、全国の会員が一致団結し、一枚岩となって、新しい未来を切り拓いていかなければなりません。

本日お集まりの皆様には、これまでの長年にわたるご支援ご協力に改めて深く感謝の意を表するとともに、今後とも引き続き、空手道および日本空手協会のさらなる発展のために、暖かいご指導とご鞭撻を賜るよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶といたします。本日はお忙しい中をご出席賜りまして、誠にありがとうございました。

公益社団法人日本空手協会は内閣府認定の公益法人として品格ある青少年育成につとめております。
当会主催の全国大会には、内閣総理大臣杯、及び文部科学大臣杯が授与されております。