第十六話:武士道の普遍性【会長 草原克豪】
今日のグローバル化した世界において、『武士道』に示された武士の生き方に共感する人は日本人だけではありません。外国人の間においても武士道を理解し、それを実践する人が少なくないのです。なぜ海外の人たちが武士道に共感するのでしょうか。それは単純化していえば、武士道が必ずしも日本人だけの特殊なものではなく、人類の倫理道徳としての高い普遍性を持っているからだと思います。
確かに、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義をはじめとる武士道の徳目は、誰もが納得できるものばかりです。だからこそ、人種や国籍、文化などの違いを超えて、多くの人の共感が得られるのです。
日露戦争の仲介役を務めたアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も新渡戸の『武士道』に感動し、自分でも何十冊も買い込んで家族や友人たちに配りました。彼が武士道精神に共感を覚えたのは、そこに若い頃生活を共にしたカウボーイたちの姿を重ね合わせていたからです。彼はまだ二十代の頃、最愛の妻と母を相次いで失うという不運に見舞われ、その悲しみを癒やすためニューヨークから中西部のノース・ダコタに移り住んで牧場主となり、そこで3年間カウボーイたちと生活を共にし、彼らの生き方に感銘を受けました。そうした体験があったので、『武士道』を読んで日本の武士とアメリカのカウボーイとの間に、勇気、忍耐、慎み、礼儀、名誉、忠誠などの共通点があることを発見し、誰よりも日本人の心を理解するようになったのです。
こうした事例からも、武士道精神は決して日本人だけのものでないことがわかります。もちろん現在の日本に武士は存在しませんが、武士道の精神は現在も日本人の中に脈々と息づいているのです。
日本の武士は支配階級として権力は持っていましたが、経済活動に携わることはありませんでした。お金を扱うことは下賎なことと考えられていたのです。そのため商人のように豊かではなく、生活はとても質素でした。その代わり、お金に目が眩んで不正を働いたりすることもありませんでした。そのことは日本を訪れた多くの西洋人が指摘していることでもあります。
もちろん、社会にとって経済活動は大事なことですし、お金にまったく無頓着であっても困ります。しかし、それでも多くの日本人は、何のために働くのかと問われたとき、お金を稼ぐことだけが目的だとは言わないでしょう。それ以上に、与えられた仕事をやり遂げたり、誰かのために役立ったり、あるいは自分自身の成長を確かめたり、仲間と協力し合ったりすることから得られる喜びや満足感などを重視しているからです。単に経済的尺度だけでは計ることのできない部分に大きな価値を見出しているのであり、それが人生の生き甲斐にもなっているのです。これは素晴らしいことだと思います。
私たちはこうした倫理道徳観を大事にすることによって、物質的な豊かさに惑わされることなく、精神的に豊かで充実した人生を送ることができるようになると考えるのです。