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第十五話: 武士道は日本人の心【会長 草原克豪】

第十五話: 武士道は日本人の心【会長 草原克豪】

第十五話: 武士道は日本人の心【会長 草原克豪】

武士道はもともと武士の間で共有された倫理道徳規範でしたが、それは時代とともに広く日本民族の精神を形成するようになりました。なぜ「武士の掟」であった武士道が日本民族に共通の倫理道徳となったのでしょうか。その理由は、新渡戸稲造によれば、武士が大衆の憧れの的であり、尊敬の対象となったからでした。

日本の武士階級は士農工商の頂点に位置する支配階級でありながら、西欧の貴族のように自ら富を蓄積することはありませんでした。武士は権力を持っていましたが、商人とは違って、経済的には貧しかったのです。このように日本では富と権力が分離していました。士農工商とは社会的役割の違いを表したもので、西洋に見られるような支配者と被支配者という関係の厳密な階級制度ではなかったのです。士と農工商は互いに持ちつ持たれつの関係にあったのです。

武士が誕生したのは平安時代中期のことですが、それ以来、武士の間には戦う戦士に特有の倫理観が育っていきました。その特徴は、武勇を尊び名誉を重んじることや、主従関係の密接なことなどであり、そうした姿は各種の軍記物や歴史書を通じて後世に伝えられていきました。

中でも、彼らが戦場で示した勇気や平静心、あるいは敵に対する思いやりの心は、武士に相応しい徳として高く称賛されてきました。

しかし、江戸時代になると、武士はもはや戦う戦士ではなく、徳をもって支配する為政者階級となりました。この平和な時代に盛んになったのが、芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説などの娯楽文化で、そこで取り上げられた題材は、ほとんどが軍記物や歴史書に描かれた武士の物語だったのです。

その結果、一般大衆もそれを楽しむようになりました。そして、そこに登場する源義経とその忠臣弁慶、曽我兄弟、織田信長や豊臣秀吉の物語などに心を躍らせ、彼らの武勇に拍手を送り、名誉を重んじた気高い姿に憧れ、それを慕うようになったのです。さらに江戸時代には赤穂浪士の吉良邸討ち入りという大事件もありました。その物語は、この時代の儒教的な価値観であった忠義という観点から大衆の人気を集め、芝居や講釈などに取り入れられたのです。

こうして武士の生き方は次第に日本人全体の理想となり、「花は桜木、人は武士」と謳われるようになりました。ちなみに新渡戸の『武士道』には「日本の魂」(The soul of Japan)という副題がついています。これは「日本の心」といってもいいし、「日本の精神」あるいは「大和魂」といってもいいのです。

武士から大衆へと広がった武士道精神は、武士がいなくなった今日の日本においてもなくなってはいません。それは職業倫理、公衆道徳、神仏への敬意などに見られるように、広く日本人の意識や行動の中に脈々と受け継がれているのです。

したがって、新渡戸の『武士道』も狭い意味での武士道論ではなく、広く日本人の物の考え方や行動を欧米人向けに書かれた日本文化論と言っていいのです。著者の狙いは、「日本人は西洋人のようにキリスト教徒ではないが、決して一部の西洋人が考えるような野蛮人ではなく、彼らに負けない立派な倫理道徳を備えている」ということを世界に訴えることでした。『武士道』はその使命を十二分に果たしてきたと言っていいでしょう。

そのため武士道論としては正確性を欠く部分があることも指摘されています。しかし、そうした問題点があるにしても、新渡戸の『武士道』は日本人の倫理道徳思想を合理的かつ体系的に解説した唯一の書物として、今もなおその価値を失っていません。武道に親しむ人なら尚更、『武士道』に触れることによって、自分も知らず知らずのうちにこうした日本人としての伝統的な価値観を身につけていることに気がつくはずです。

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