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第五話:試合の結果に一喜一憂しない【会長 草原克豪】

第五話:試合の結果に一喜一憂しない【会長 草原克豪】

第五話:試合の結果に一喜一憂しない【会長 草原克豪】

日本空手協会の空手には形と組手があります。中でも組手試合は、一瞬の技で勝敗が決まるだけに、選手も真剣になって戦い、観ている方もつい熱が入って手に汗を握ります。だからあらゆるスポーツ競技と同様、空手の試合においても、勝てば嬉しいし、負ければ悔しい思いをします。

しかし、空手においては、勝ち負けの結果に一喜一憂してはいけません。もちろん試合に出る以上は、絶対に負けないという強い気持ちを持たなければなりません。いい加減な気持ちで対戦するのは何よりも相手に対して失礼です。しかし、勝ち負けの結果がすべてではないのです。なぜなら、試合はさらなる成長を目指すための手段であり、通過点であって、空手修行の目的ではないからです。

では空手道の目的とは何か。それは究極的には克己心を養うことです。近代空手道の父である船越義珍先生は形しか教えていませんでした。その後、日本空手協会の初代首席師範として組手試合の導入に中心的役割を果たした中山正敏先生は、「空手道究極の目的は人に勝つことではなく、己に克つことである」という言葉を遺しています。

克己心とは自分を律すること、つまり自制心です。自分の弱さを克服し、いじめにも誘惑にも不正にも負けない強い心を養うことです。それを通じて自分が正しいと信じたことを勇気を持って実行し、社会に貢献できる人間になることを目指すのです。それが武道としての空手道の目的であり、そのために日々の稽古があるのです。

だから試合には全力で臨みますが、大事なことは「勝って奢らず、負けて腐らず」、勝っても負けても、そこから何かを学ぶことです。「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉がありますが、実際、勝った試合よりも負けた試合から学ぶことのほうがはるかに多いことは、すでに多くの人が経験していることです。

私たちは、試合を通じて自分がどれだけ成長したかを確認できます。その時に味わうささやかな達成感の中に、空手を学ぶことの醍醐味があるともいえるのではないでしょうか。それは楽をして簡単に手に入れられるものではありません。我慢と努力の積み重ねによってはじめて得られるのです。だからこそ価値があるのです。

空手を通じて私たちは自分の身体を鍛えて運動能力を高め、いざというときに身を護るための技術を身につけますが、空手の修行はそれだけではありません。「心の秩序を調える」ことも重要な課題です。そのために役に立つのが礼法です。

協会の空手においては、日々の稽古において黙想を行うことも含めて、禅の礼法に由来する伝統的な武術の稽古作法を実践しています。道場を綺麗に清掃するのも同じ理由からです。清掃を尊ぶ文化は神道に由来するものですが、床を磨くのは単に床をきれいにするためだけではなく、自分の心を清め、心の秩序を調えるためでもあるのです。

さらに言えば、空手の修行は、道場の中だけで行うものではありません。日常生活における身の回りの整理整頓はもとより、自分のことは自分で責任を持つ習慣を身につけることも、広い意味での空手の修行の一環です。それらのすべてがすなわち「己との闘い」であり、それが「人格の完成」にもつながるのです。

公益社団法人日本空手協会は内閣府認定の公益法人として品格ある青少年育成につとめております。
当会主催の全国大会には、内閣総理大臣杯、及び文部科学大臣杯が授与されております。